とらんぷ館

『とらんぷ譚』の経緯

単行本:1980年1月10日、平凡社、菊判、函、868頁、3600円。挿画・装幀:建石修志
「薔薇の獄」 「虚」「影の狩人」「幻戯」を加え54編となる。

文庫版:1996年、5月31日、創元ライブラリ、713頁、本体1456円、『中井英夫全集[3]  とらんぷ譚』として刊行。

『虚無への供物』(以下「虚無」)で知られる中井英夫は、虚無のような「大長編作家」というイメージが強いのですが、短編小説をこよなく愛した作家でもありました。その短編の代表作として、作品群をとらんぷに見立てた『とらんぷ譚』があります。

この『とらんぷ譚』はスペエド『幻想博物館』、クローバ『悪夢の骨牌』、ハート『人外境通信』、ダイヤ『真珠母の匣』とそれぞれの本をスートに見立て、4組各13編にジョーカー2枚を加えた全54作からなる短編集です。

『幻想博物館』から始まる『とらんぷ譚』は、中井が少年時代に見たフランス映画『Le Roman d’un Tricheur.』(原題:ある詐欺師の物語)の邦題『とらんぷ譚』という言葉への偏愛を萌芽として生まれました。 雑誌「太陽」 (平凡社)において『幻想博物館』から始まり、9年にわたって連載された『とらんぷ譚』ですが、作品群をとらんぷに見立てるという構想はいつ生まれたのでしょうか。

全集付録に収録されている石川順一による「『とらんぷ譚』の頃」には、『幻想博物館』が「太陽」掲載開始時にはさほど期待されておらず、「連載開始から半年を経てようやく『連作短編』と銘打たれ」たとあり、また中井にも当初は『とらんぷ譚』としての構想はなかったようだとしています。

『幻想博物館』 初版のあとがきにおいて、「この十三の物語は、いわば十三枚のスペエドの札であって、今後も十三ずつ四組の札をこしらえ、この世ならぬ色彩の『とらんぷ譚』を作り出したいというのが、いまのところひそかな私の念願である」という宣言から、『とらんぷ譚』の構想が明示されます。

そして「太陽」でも当初の予想を裏切り、『とらんぷ譚』は読者から好評を持って受け入れられ、9年にわたって連載されました。70年代に単行本で各本が出た後、80年に『とらんぷ譚』としてまとめられ、その後も80年代に再び各スートとして講談社文庫でゆるやかに刊行されました。

91年頃、東京創元社の戸川安宣により再度一冊の本として出版が企画されますが『とらんぷ譚』単独での文庫化ではなく、中井英夫全集という形へ移行しました。中井の死を挟んで96年、文庫版全集の第一回配本『中井英夫全集[3] とらんぷ譚』に収録され現在に至っています。